ずっとデジタル写真のメインで使っていたPENTAX K-3IIを手放した。
ここ1年くらいずっとモヤモヤしていたのが、デジイチで写真を撮る時にやたらとカチッと写真を撮りたがるようになってしまったこと。水平、タテ角度、絞り、シャッタースピード、ISOがこれで、ホワイトバランスはこうして、1枚撮ってうーん違うな、設定を変えてもう1枚、うーんまだ違う。その繰り返し。
写真1枚撮るために立ち止まる時間が長い。撮ってるうちに、被写体がもはや新鮮でも刺激的でも何でもなくなる。見慣れてしまう。そう見慣れてしまう。家に帰ってBridgeに取り込んでも、あーこんな写真撮ったな。同じモノを何枚も何枚も撮ってるけどどれが正解だ?たぶんこれかなぁ。そんな感じ。
K-3IIは本当に良くできたカメラで、バッテリの持ちは良いしGPSも受信できる。連写ができて水に強くて砂にも強くて打たれ強い。ズームレンズを着ければ月の写真も鉄橋のリベットのアップもばっちりだ。暗闇に強くて手振れ補正も心強い。でもその機能を活かそうとするあまり、肩に変な力が入るようになってしまった。
デジイチに初めて触れたのはPENTAX K-5というカメラで、ドイツ滞在中からずいぶん酷使した。酷使し過ぎて何度かの入院の後に遂に壊れたので、後継のK-3IIを買った。社会人パワーでバッテリーグリップも買った。自分の手と目の延長みたいな存在だった。そんな存在だから余計にモヤモヤしていたのだと思う。
どこかでフィルム写真とデジタル写真に明確な線引きをしていたというのもあるかもしれない。この被写体はデジイチで撮ろう。デジイチで撮るからこう撮ろう。同じ写真をフィルムで撮ったらきっとこう撮るだろうなというイメージを想像しながら。フィルムだから、デジタルだからと変に線引きをしていることに違和感はずっとあった。
そういうわけで、思い切ってデジイチを手放しました。ズームレンズと一緒に手放した。受け取った買取金で、SIGMAのdp1 Quattroという気持ち悪いカメラを買った。
35mm換算で28mmの画角を持つファインダ無しのカメラ。バッテリの持ちは悪いし連写はできない。暗闇にも弱い。短焦点だからズームはできないし防塵防滴性能もない。1枚撮れば書き込みに時間が掛かってモニタがブラックアウト。動画なんて撮れるわけがない。K-3IIで当たり前にできていたことが何もできない。不便で不器用で繊細で、でも正直で嘘のつけないカメラ。初めて触れた時に、フィルムで撮るあの感覚を覚えた。
SIGMA dp1 Quattroの評判を聞く時、たいていはFoveonセンサが織りなす圧倒的で精密な画について語られることが多い。でも、それよりも、どっちかというと自分は、正直に写真を撮れるカメラだと思った。写真を撮ることしかできないカメラ。ただ正直に写真を撮ることしかできないカメラ。それがいい。そういうカメラがいい。そういうカメラを手に入れる覚悟として、私はデジイチを手放した。
フィルムで撮る時は28mmのレンズばかりだから、これでフィルムもデジタルも28mmだ。フィルムはモノクロばかりだから、カラーフィルムを入れたカメラ代わりに振り回せたらなぁと思う所存。サヨナラデジイチ、ハロークアトロ。今までありがとう。これからヨロシク。