カレーの話

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明けましておめでとうございます。2020年という年が皆様にとって実り多き良き1年であるよう心からお祈り申し上げます。さて突然ですがカレーの話をしたいと思います。カレー。食い物のアレ。

私は料理が一切できない。いやできないことはないしボチボチ自炊はしているけども、作る料理は犬の餌のような代物で、とても人様に見せられるようなモノじゃない。けどひとつだけ言えるのは、「カレー作るのが好きだ」ということ。

私の家に遊びに来たことがある人は分かると思うけど、だいたい振舞う料理といえばカレー。粉から作ったスパイスカレー。運の悪い一部の人にはゴミみたいなパスタとか、罰ゲームみたいなキムチ鍋を食べさせたこともある。あと刑務所の飯みたいなモヤシ炒め。けどそういう少数派の例外を除いては、大体スパイスカレーを作って振舞っている気がする。それくらいスパイスカレーは唯一作って「まぁ食べてみなさいよ」と言える食べ物なのだ。

スパイスカレーというものを教えてくれたのは大学時代からの友人であるニシムラタクヤだ。いつだったか、彼の家を訪ねた時にワークショップみたいな感じでスパイスカレーを作らせてもらった。生まれて初めてのスパイスカレー作り。スーパーで買ってきた野菜を炒めて、原始的な匂いのする謎の粉を順番に入れて、肉を入れて煮立てて水分を飛ばしていく。目の前に並んでいた「素材」がだんだん「ひとつ」になっていく。そして気付けば全身の毛穴が開くようなカレーが出来上がった。未知との遭遇。具材とスパイスの掛け算でこんなにも美味い食い物ができるのか、と感動したのを今でも覚えている。あの日が私にとってのスパイス記念日であり、スパイスカレーとの運命を感じた瞬間だった。

そんなニシムラタクヤが教えてくれた、水野仁輔氏の『はじめてのスパイスカレー』。帰り道でポチッた。以来この本が私のバイブルであり唯一所有する料理本だ。料理ができない人間にも分かりやすく書かれた、優しさに満ち溢れた一冊。手の平に乗る世界平和。この本を手に取った世界人類が平和でありますように。

スパイスカレーの世界は、フィルム写真の世界に似てると思う。次から次へと色んな薬液を投入してネガを現像していく工程は、次から次へとスパイスを投入していくスパイスカレーの世界とそっくりだ。ちょっとした水の温度の違いでネガの仕上がりが変わるように、例えばタマネギの炒め具合とか、水分の飛ばし具合の違いでカレーの味も大きく変わる。基本のスパイスであるターメリック、カイエンペッパー、コリアンダー。これらのバランスがちょっと変わるだけで出来栄えも変わる。同じレシピなのに、作る日によって味が変わる。スパイスカレーは生き物みたいだ。フィルム写真が生き物みたいだと感じるのと同じだ。

たぶん、その「ブレ」に魅力を感じるのかもしれない。あるいは色んな素材の掛け算でひとつのものを作り上げる工程に魅力があるのかもしれない。写真好きには音楽好きが多いし、写真好きにはカレー好きが多い。そして写真好きにはコーヒー好きが多くて、ちょっと面倒くさいけど憎めない奴が多い。エフェクターをたくさん繋いで鳴らしたらスゴイ音が出たとか、コーヒー豆の砕き方を変えたら味が変わってびっくりした、みたいな体験を魅力的だと感じられる感性を持つ人々とでも言うべきか。その感性を刺激するものがスパイスカレーにもきっとある。

初めて所有したスパイスは、西葛西のインド人から買った。コリアンダーが無くなったから、十条のバングラディシュ人から買った。色んな人から色んな粉を仕入れた。光が丘で暮らし始めた今、次は誰から粉を仕入れようか。

そもそも何でこんな中身のない文章を書こうと思ったかというと、今日うちに遊びに来た友人たちにスパイスカレーを振舞った。美味いスゲェ美味いと言いながら食べる彼らの姿を見て、スパイスカレーを初めて作って食べた時の記憶がフラッシュバックした。だからこれを文章にしてみようと思って、ビール飲みながらキーボードを叩き始めたらこんな風になってしまった。ばっちりカレー作ったのに米を炊くのを忘れていたので、慌ててチャパティをフライパンに叩き付けるなどした。

私は料理が一切できない。いやできないことはないしボチボチ自炊はしているけども、作る料理は犬の餌のような代物で、とても人様に見せられるようなモノじゃない。けどひとつだけ言えるのは、「カレー作るのが好きだ」ということ。相変わらずレシピを見ないと作れないし、タマネギみじん切りにする時は危なっかしくって傍にいる人がこの世の終わりみたいな顔をする。多分いつかはカレーの中に指が混入するかもしれないけれど、その時までは、スパイスカレーを好きでいようと思う。以上、突然だけどカレーの話でした。