インターナショナルオレンジの骸骨

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新型コロナウイルスに関わる一連の非常事態宣言が解除されて初めての週末。まだ大腕振って外で遊べる雰囲気ではないけど、一応合法的?に外に出られる空気が流れたいつぶりかの週末。いったい何か月ぶりだろう、東京都心で遊ぶことにした。

そうは言ってもまだまだあちこちで休業が続いていて、本格的に街が再稼働するのは6月に入ってからって感じだった。そんな中で、東京タワーが外階段だけ営業再開したってニュースを読んだ。あ、そういえば外階段で登ってみたいなと思っていたんだった。じゃ、そこへ行こう。

浜松町から東京タワーを目指す。立派なお寺があって、森のような雑木林の隙間からビビッドカラーの電波塔が顔を覗かせる。そういえば君はもうテレビ電波塔ではないのだったね。

ぼくがまだ子供だった頃、このビビッドカラーの電波塔からは強烈なテレビの電波が発せられていた。岐阜で生まれ育ったぼくにとって電波塔といえば、あの馬鹿みたいに地味な名古屋のテレビ塔。久屋大通にそびえ立つネズミ色の鉄塔の骸骨も好きだったけど、やっぱり東京タワーの魅力には叶わなかった。あれからぼくは大きくなって、いつの間にか東京スカイツリーが建って、あのギラギラ光る銀色の電波塔が新たなテレビのシンボルとなった。今住んでる家のアンテナも真っ直ぐ東京スカイツリーの方を向いている。

でもやっぱ、東京のシンボルといったら、ビビッドカラーの東京タワーだ。

近くで見る東京タワーは、なんて細くて、なんて繊細なんだろう。

地上に建つ工作物なのに、究極なまでに軽さを追及したかのようなフォルム。葉脈のような1本1本の線を、小さなリベットが小さく静かに繋ぎとめている。

チケットを買って、検温を受けて、いざ階段。階段は外の鉄骨とは少し違う色で塗られていた。ちょっと茶色っぽい、2段階くらい彩度を落としたような落ち着いた色。

テレビの電波塔としての役目を終えた東京タワーだけど、ラジオの電波を発する電波塔としてはまだ生きているそうだ。階段の横を、ぶっとい管が並んで上へと向かっている。どこかで誰かが喋る声が、今この瞬間もこの管の中を通って、電波塔の先っちょからばら撒かれているのだ。

階段で上がれるのは地上150mの展望台まで。600段の階段をひとつずつ噛みしめながら高度を上げていく。外は、鉄の毛細血管に覆われている。

東京タワーは、耐震構造の父と呼ばれた建築家の内藤多仲という人が設計した、トラス構造の自立式鉄塔だ。1957年6月に着工して、1958年12月に竣工。最新式の重機なんて無い時代に、たった1年半という短い期間で職人たちの手によって作られた鉄塔だ。そして先ほど名前が挙がった名古屋のテレビ塔も、実は内藤多仲の作だってことを今知った。

赤い鉄塔の骸骨。東京タワーといえば赤。そう、赤ってイメージだった。けど実はこれ、インターナショナルオレンジ(#FF4F00)と呼ばれるオレンジ色で、航空法で定められた「法的な」色なんだ。今でも5年に1回のペースで再塗装が行われているという。

階段は徐々に展望台の底に近づいていき、ついに飲み込まれる。さっきまでは吹きっさらしの「屋外」だったのに、突然暗くて圧迫感のある「通路」に様変わり。もうゴールは近い。

展望台に到着。マスクをしていない人がいない。60年以上前に作られた展望台のはずなのに、中は真新しい。

たかだか地上から150mの高さなのに、えらく高いところにいるような気分だった。いや実際高いんだけど、150mって聞くと「そんなでもないよなぁ」と感じてしまう不思議。ニョキニョキと生える高層ビル、地面を這うように広がる住宅地、Nゲージのストラクチャのような華奢なビル。ビルの屋上を覗き見るのが好きだ。普段見えない場所が見えることにワクワクする。

展望台を何周かぐるぐる回って、気が済んだら、帰路の階段を一気に駆け下りた。さっきまでぼくたちがいた展望台と、その上にあるアンテナを支える鉄の毛細血管の集合体。下から見ると、やっぱり華奢だ。鉄骨1本1本がH鋼みたいなドカッとした質感じゃなくて、もっとペラペラでスカスカな紙で出来た骨のように見える。

床を見ると、上から垂れてきたインターナショナルオレンジの塗料が散らばっていた。この塗料、どこかで買うことはできないかなぁ。

最後に遠くから振り返る。やっぱり東京タワーは東京のシンボルだ。職人たちが手仕事で作り上げた鉄の毛細血管。鉄の葉脈。インターナショナルオレンジの骸骨。

諸々の自粛明け最初の週末。まだちょっと周りの様子を見つつって感じだったけど、久しぶりに東京都心で遊んだ。その記念すべき日常の帰還の日に、東京タワーという場所を訪れることができて良かったと思う。追伸、今になって足が痛くなってきた。