震える手でデジカメ支えて

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東京都北区で暮らし始めて2年目の春。うちの周りにはこれでもかってくらいに桜の木が植わっていて、平日は会社帰りに、休日は昼間に、ビール片手に、あるいは鬼ころし片手に、桜のトンネルをフラフラと通過するのが心地よい。

桜の季節が来るたびに、この世はなんて美しいんだって思う。普段は朝から晩までオフィスの中に籠りっきりだから、あんまり春夏秋冬の空気感を感じる機会が少ない。だから休日の昼間にうちの屋上に上がってみると、空の広さにびっくりしたりもする。

ニューイヤーのカウントダウンの高揚感。日付が変わって年が変わるあの緊張感を毎日持っていたいと思う。持ててないから持ちたいと思う。だってそれはとんでもなくパワーがいることだから。日々を消費する日々。日々を淡々と消化する日々。そんな日々を過ごしているうちにジジイになるなんて嫌だという焦燥感。そんな焦燥感に追われて最近は首が回らなくなっている。ダメだなぁって思う。

宇多田ヒカルのどの曲が一番好き?って聞かれたら、迷わずTHIS IS LOVEだって答える。FREEDOMのOPのアレ。調べてみたらもう10年以上前なんだって。あの映像に使われている廃墟を訪ねてみたいと思っていたけど、残念ながら解体されてしまったらしい。ボーっと人生を生きてる間に、この世はどんどん移り変わっていく。ベルリンに行くたびに古い区画が消えて新しい街が出来上がっていたけど、社会人の人生ってのは案外同じようなものかもしれない。移ろいゆく世界。移ろいゆく人。移ろいゆく人生。何か言いたいけど、次の瞬間もう朝なの。

そういえば少し前にスペイン内戦をテーマにした映画を観た。共和派の男が「僕の恋人になってくれる?」って言うシーンが印象的だった。良い言葉だなって思った。君を幸せにするよ、なんて言葉は自分には言えない。男としてダメだと思うけど。男が女を幸せにしようとするんじゃなくて、一緒にいるから幸せになれる。そういう幸せの中で生きている人たちが自分の周りにはたくさんいるから、そういうものに素敵な何かを感じるんだと思う。何の話だ。

桜の花びらの中心がピンクなのはもう散る花で、白いのはまだしばらく咲いてる花なんだってさ。前にある人が教えてくれた。満開の桜は圧倒的だけど、葉桜の方が景色に溶け込むと思う。道端に積もった散った花びらにも桜の美しさを感じられるような感性を持っていたい。

自分のカメラで人が写真を撮ると、自分のカメラで撮った写真じゃないように見える。自分の部屋を自分じゃない人が撮ると、自分の部屋じゃないように映る。人が自分を写真に撮ると、人は自分をこう認識してるんだということを知る。写真は記録の手段だけど、その記録の仕方は人の感性によって随分と変わるものだ。だから人が撮った写真を見ると楽しいし、自分が好きな人に自分の写真を見て欲しいと感じる。それは多分、自分が好きな人を写真に撮りたいと思う気持ちと同じだ。

東京都北区で暮らし始めて2年目の春。平成最後の春。この春は、色んなことと向き合う春になる。たぶん自分と殴り合う春になる。夜と朝の狭間。震える手でデジカメ支えて捉える人。ニューイヤーの高揚感。何だこの文章(笑)