2018年9月22日(土)
ヤンゴン貧困地区を散策。
晴れ。
今日は久々にちゃんとしたコーヒーが飲めた。ちゃんとした?ブラックの粉コーヒー。
パンソダン埠頭からフェリーに乗って、ヤンゴン川対岸のダラという街に向かう。貧民層が多くむエリア。渡し舟として使われている大きなフェリーは日本からの援助物だそうで、そのため日本人は船着き場でパスポートを見せてノートに名前を書けば無料で乗船することができる。船上でイスに座るのは有料。船が動き出すと集金が回ってくる。外国人用のスペースがあるが、僧侶と兼用。乗船時間は10分くらいだし外の景色を見たかったので私は立ってた。
濁った水と座礁船を眺めていたら、あっという間にダラに到着。どえらい数の乗客が雪崩降りる。桟橋を渡っているとサイカーの運転手が話しかけてくる。でも事前にダラにおけるサイカー関係の注意喚起を見ていたのでスルー。サイカー?いらないよ、歩きたいんだ。リィブミーアローン。だがしかし一人のサイカリストが付いてくる。ずっと付いてくる。何度も断るがずっと付いてくる。今日はまだ誰も客を乗せていないんだ、君が最初の客なんだ、嫁と子供とベイビーがいるんだ、なぁ頼むよブラザー、ディスカウントするからさ。最初から歩くつもりだったんだ、自分の足で行きたいんだ、写真撮りたいし、だからすまないけれどどれだけ付いてきても乗らないよ。断り続けつつ世間話しつつ15分くらい歩いた。結局彼は折れた。バンブービレッジに行くならこの道をまっすぐ行って左だ。じゃあなブラザーといって彼は港へ引き返していった。ありがとう、君と話せたのは楽しかったよと言ったらニンマリ笑った。
あまりに暑かったので、道路わきの掘立小屋の食堂に避難。コーラを啜る。そうすると私の横に座る若者。俺のサイカーに乗らないか?ディスカウントするからさ。またかー!適当に世間話するうちにコーラを飲み終わったので店を出る。付いてくる。デジャブ。今日はまだ誰も客を乗せていないんだ、君が最初の客なんだ。ベイビーがいるんだ。なぁ頼むよマイフレンド。デジャブ。改めて最初から断る作業が始まった。もともと歩くつもりだったんだ、折角だがノーニィドなんだ。それでも付いてくる。仕方がないので世間話しながら進む。
ロードサイドにパゴダが見えたので入ってみる。お坊さんに挨拶して奥の方も見せてもらう。サイカーの彼は外で待っている様子だった。横の建物にデカい仏陀がいるから見ていきな、というのでそうすることに。すると今度はサイカーの彼も付いてくる。仏陀は建物の屋根を突き破りそうな勢いでデカかった。ミャンマー流のお祈りをする。サイカーの彼も横で祈る。日本でもこうやって祈るのか?いや、バガンで習ったんだ。そうかそれは良いことだ。自分のビジネスとは関係なく、良いことには素直に良いと言ってニッコリ笑えるのがこの国の人たちの良いところだと思う。
パゴダを出て再び歩く。私の目的地はバンブービレッジ。スマトラ沖地震の被害者たちが移り住んできた場所で、貧困地区の更に貧困地区だという。訪ねることで何かを支援するなんて大層なことはできないけれど、とりあえずそういう場所があるなら会いに行ってみようと思った。サイカーの彼は相変わらず付いてきたが、結局途中で引き返していった。バンブービレッジはこの先だ。デカいアンテナを過ぎると小さな橋があるから、そこを渡ってまっすぐ行くと良い。
草原の1本道を進む。ネットで調べた目印の火葬場が見えてくる。バラック小屋が並んだ村に入った。バンブービレッジ、別名ツナミビレッジ。子供が遊んでいたのでミンガラーバーすると駆け寄ってくる。親父さんも駆け寄ってきて写真撮ってくれ!と言ってくるのでバシバシ撮る。村の中へ入る細い一本道に入っていくと、こっちから声を掛ける前に向こうから声を掛けてくる。写真撮ってくれ!写真撮ってくれ!カメラだカメラだ!そんな感じ。小さな少女が家の中から手招きしたのでそちらへ。君のタナカはステキだねと言うと、伝わったのか?嬉しそうな顔。親父さんが君もやるか?みたいなことを言うので是非!というと顔にシュっと塗ってくれる。私がやるー!と少女が器を分捕って更に塗ってくれる。そのうち他の子どもたちもワラワラと集まってきて、子供たちに取り囲まれながら私の初タナカ体験は完了した。
少女もその両親も、ほとんど英語は分からない。分からないけれど、色んなことは雰囲気で分かるものだ。彼女のお母さんに、少ないけれどこれを子供たちのために使ってくださいと言ってお金を渡す。受け取ったお母さんは少しここで待ってて!みたいなことを言ってどこかへ行く。親父さんが村中の子供たちに声を掛けて道に集めて、一列に並べ始める。これは何が始まるんだと思っていると、お母さんがゴミ袋イッパイの菓子パンを持って戻ってくる。これをみんなに配ってあげて、1人1個ずつね!というので、何だかエラいことになったぞと思いながら子供たちにパンを配り始める。子供たちが土石流のように雪崩れ込んでくる。脇で親父さんがオマエ貰っただろ!この小さな子にも渡してやってくれと!支援してくれる。何十個もあったパンは一瞬で配り切ってしまった。結局渡せなかった子供たちもいた。飴玉でも買ってこれば良かったなぁと思った。
彼らは就労できないらしい。だから寄付だけで生きている。渡した金であのお母さんがパンを買ってきたのか、あるいはどこかに備蓄してあったものかは分からないけれど、単に会いに行く、以上の結果になった。でも、例えばこう、何か良いことしたなーみたいな気分には微塵もなれなくて、どちらかというとより複雑な、表現し難い気持ちでいっぱいになった。バンブービレッジの人らは、そこらへんで拾ってきた廃材のバラックで今日を生きている。
村を出て再び船着き場へ。相変わらずあちこちで写真撮ってくれ!と子供が駆け寄ってくる。撮ってやると、近くにいた母親に自慢しに駆け寄る。母親がこっちを見るのでミンガラーバーしながら手を振る。そうしているうちに船着き場へ戻ってきた。
夕方、ヤンゴンの名所のひとつであるスーレーパゴダに立ち寄ったりしつつ市内中心部を散策。パゴダでは相変わらず声を掛けられる。僧院の教師をしているという若者が寺のために俺に金をくれ、と言ってきたので、それだったら君に個人的に渡すのは変だよねと言って寺の募金箱に金を入れた。ちょっと露骨だったかなとも思ったが、彼のそういう成功体験に自分が関わりたくなかったんだ。