ダイアリィズ イン ミャンマー(7)

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2018年9月20日(木)
バガンから長距離バスでマンダレーへ。
晴れ。

さらばバガン。OK EXPRESSという日本製のマイクロバスを使った長距離バスでマンダレーへ。バスは宿泊していたゲストハウスまでピックアップに来てくれた。走行中に次の宿泊先を聞かれ、宿の前まで行ってくれるという。至れり尽くせり。

詰め込めるだけの人と荷物を押し込んで、バスはしばらくガタガタの道を進む。舗装路だからと言って快適だと思うなかれ。時々、急ブレーキ。見ると牛の群れが道いっぱいに広がっている。昼過ぎにロードサイドのレストランで昼休憩。なかなか度胸のいるトイレだった。そこから、ヤンゴンから北へ延びるハイウェイへ。この道は舗装がしっかりしていて揺れない。ミャンマーに来て初めて乗り物に乗って快適だと思った瞬間だった。アジアンハイウェイ1号線。日本橋から延びるアジア横断道。

約6時間でマンダレー着。外国人は俺と白人グループだけで、ここから宿まで違う車で運ぶから乗り換えろという。軽トラの荷台に椅子を置いたトラックバ1スで宿へ。バガンに比べて大きな街だ。街の喧騒、車とバイクが道を埋め尽くす。14:00ちょっと過ぎに宿にチェックイン。綺麗なドミトリー、トイレとシャワーが今までで一番清潔。1泊だいたい12000チャット。フロントのお姉さんとダラダラ話すついでに、明日空港に行くためのシャトルバスを予約してもらう。4000チャット。

さっそく街へ出る。綺麗な網目状の街で、縦横それぞれの道に番号が振られている。この辺は京都のそれに近いと思った。適当に街をブラブラ。大体250mくらい歩くと道にぶち当たるが、交通量が多くて渡れない。信号なんか無いからタイミングを見計らって渡るしかない。一番大きなマーケットに行ってみたが、ちょうど店じまいのタイミングだった。途中でイスラムの儀式?に遭遇。しばらくフラフラしながらスナップして、結局、適当なバーを見つけてビール。

1日に何度も、あるバイクタクシーのオッチャンと遭遇した。最初は宿の前で、次は路上で、途中で宿に立ち寄ったらまたそこにいて、その度に俺のバイクで名所に連れてってやるヨーという熱烈なオファーを受けた。あまりこうやって声を掛けられて話に乗るのが好きじゃないので何度も断ったが、ミャンマーの滞在も終盤に差し掛かった今、そこそこ金は余っているし、明日は飛行機までの時間を効率良く使いたい。せっかくならマンダレーらしいスポットにも行ってみたいし、この街の喧騒をバイクから眺めてみるのも良いかなーと思い、4時間だけね!と念を押して旅程を交渉、明日お願いすることにした。

夜、ナイトマーケットに行ってみたがいまいち盛り上がっていなかった。マーケット用に電源が供給されているようだが、不安定で、時折マーケット中の明かりがパチパチと点滅したり、全部消えたと思ったら点いたりと大規模なインスタレーションを見ているようだった。宿の近くのミャンマー料理屋さんへ。英語が通じないオバチャンに店の奥まで連れていかれ、お皿に盛られた色んな料理を指差して注文。ビール飲むかと聞かれたのでウンと答えたら、まさかの大瓶が出された。机いっぱいに並んだ料理を気合と根性で全部食べる。死ぬかと思った。油の暴力。ミャンマー料理は油の暴力。横のテーブルではオバチャンの孫が学校の宿題をしている。途中で投げ出すたびに、お母さんがやってきてメッて叱る。しっかり勉強しな、そしたら世界を見に行けるよと言った。彼が理解したかは分からんが。オバチャンたちとfacebookを交換。この国では老若男女みんなfacebookを使っている。普及率は日本より凄いんじゃないか?日本人はfacebook飽き気味だもんね。息子さんのバイクで宿まで送ってもらった。あっという間の1日だった。