「旦那の爺ちゃんの遺品整理をしていたら何か良く分からん古いカメラが出てきたんだけど、欲しい?」
という連絡を受けたのが確か去年の秋くらいの話。
そのカメラはいまぼくの家にいる。
PENTAX SVという60年近く前の一眼レフで、相当使い込まれていて、そして壊れていた。
けど銀のボディにはまだ魂が宿っているような感触があったし、曇ったレンズがもう一度光を通せと叫んでいるような気がした。
この感じ、分かるかな。
本当にブッ壊れて死んでしまったカメラは何も語らない。
でも、壊れていても、まだ自分がカメラであることを忘れていない奴からは、独特の重みみたいなものが感じられる。
だから修理職人さんの元に連れて行ってみた。
どこまでやれるか微妙だけど、やれるとこまでやってみるよと言ってもらった。
そして、壮絶な共食い整備と過酷な再教育の末に、写真が撮れる状態になって帰ってきたというわけだ。
前の主人は、きっとお前で無数の家族写真を撮っただろう。
人生の節目となる瞬間を幾度となく記録しただろう。
お前からはまだ、ぼくが知らない誰かの匂いがする。
できれば消えて欲しくないと感じるような、そんな匂いがする。
昭和に生まれ、平成で力尽きて、令和に蘇ったエスヴイ。
60年前のカメラが再び撮った、はじめの1本の写真たち。